私は、今までに手抜きをしたことがあります。
人はなぜ手抜きをするのでしょうか?
共同作業の心理から考えてみます。
社会的手抜きとは
ラタネ(Latane,B.)らは、社会的手抜きの実験をしました。
実験の条件は、実験参加者に防音室に入ってもらいます。
実験参加者は、防音室で、できるだけ大きな声で叫んだり、手を叩いたりして大きな音を出すという行動をしてもらいます。
防音室にいる人数を、1人、2人、4人、6人で実験を行います。
実験の結果は、実験参加者1人当たりの音の大きさは、集団の人数が多くなるほど低下することがわかりました。
この1人当たりの音量の低下は、各人の叫ぶ方向がずれるなど調整の失敗も可能性があるので、もう一つ実験をしました。
実験参加者に2人または6人で叫ぶと信じさせて、実際は1人で叫ぶという、疑似集団状況を作りました。
この状況で、集団の人数が多くなるほど1人当たりの音量が低下したら、調整のせいではなくて、各人が手を抜いたから低下したことを意味します。
実験の結果、疑似集団状況でも1人当たりの音量が低下することがわかりました。
集団で作業するときに、1人で作業するときと比べて個人の努力量が低下する傾向を、「社会的手抜き」と呼びます。
社会的手抜きが生じやすい状況とは
社会的手抜きに関する研究をしたカラウ(Karau,S.J.)とウィリアムス(Williams,K.D.)は、社会的手抜きが生じやすい状況を説明しています。
(a)集合課題に対する個々での人の貢献度が確認されたり、評価されたりする可能性が小さい状況。このような状況では、手を抜いても責められることはありません。
(b)課題の意義が小さいか、もしくは課題に対する個人的関与が低い状況です。
(c)集合課題に対して、各メンバーが他のメンバーと異なる仕事を分担しているのではなく、全員がまったく同じ性質の仕事をしている状況。このような状況では、個人は集団の成果を上げるために自分の努力は必要ないと感じる傾向があります。
(d)見知らぬ人々よりも、メンバー同士が親しい友人であったり、凝集性が高かったりする集団の場合。集団の凝集性が高ければ、集団レベルの成果を上げることが、個人にとって価値があまりなくなるので、手抜きが生じると考えられます。
(e)協働者がよく働くだろうと期待できる場合。協働者がよく働いてくれれば、自分が努力しようが、しまいが集団の成果に大して影響はありませんので、動機づけが低下することになります。
このような状況のときに、社会的手抜きが生じるとしました。
集合的努力モデル
カラウとウィリアムスは、集合課題に取り組む個人の努力量を説明する理論として、期待価値理論をベースとした集合的努力モデルを提唱しています。
この期待価値理論によれば、共行動状況で個人の動機づけを左右するのは、努力すれば高い業績を上げることができるという期待、高い業績は成果を得るのに役立つという知覚、およびその成果が望ましいという結果の魅力度の3つです。
成果に魅力があり、自分が努力すれば成果が得られるという見込みが大きければ、課題への動機づけは大きくなりますが、成果を得られると思っていても、その成果に魅力がなければ動機づけは高くなりません。
しかし、さらに集合課題の場合は、
・個人の業績と集団の業績の関係
・集団の業績と集団の成果の関係
・集団の成果と個人の成果の関係
が問題になります。
集団の人数が多ければ、個人が努力して業績を上げたとしても、集団全体の業績向上には結びつかないかもしれません。
また、集団の成果が高くても、それが個人の成果に反映されるとは限りません。
集合課題の場合は、自分が努力すれば魅力ある成果を得られるという見込みをもつために、これらのことを考慮する必要があるとしています。
まとめ
社会的手抜きから、手抜きの心理を紹介しました。
確かに、私には心あたりがあります。
グループで作業するときは、努力量が低下していたと思います。
どうせ自分が頑張ってもあまり意味がないと心の中にあったと思います。
手抜きをされる側になったときどうするかも重要ですね。
経営者やリーダーの立場で、どのようにしてメンバーに動機づけをして、本来の力で動いてもらえるかが、集団、個人の成果に繋がります。
どのような働きかけがよいのか考えてみましょう。
参考文献
「よくわかる心理学(やわらかアカデミズム・わかるシリーズ)」