語りが大事な心理療法「ナラティヴセラピー」とは

heart心理学

「語り」で治療する心理療法があります。
ナラティヴセラピーと呼ばれ、心理療法のなかでも新しいものです。
ナラティヴセラピーがどういうものか紹介します。

相手の「語り」を理解すること

私たちは、日常で誰かと話しているとき相手も自分と同じように感じているはずだという思い込みで生きているのが普通です。
だから、いきなり子どもが「学校に行けない」と言い出したり、誰か身近な人が「死にたい」と言い出したら面くらうことになります。

これまで相手は自分と同じように感じていると思い込んでいたのが、自分がこれまで感じたこともない言葉を相手から聞かされ、すごく動揺します。
そして、何を考えているのかさっぱりわからないと思うことになります。

私たちは、誰かと話しているときに、相手がその都度どのように感じながら言葉にしているかは普通は考えていません。
自分が感じているのと同じように相手は話していると理解しています。
だからこそ、相手が自分が感じたことものないことを口にすると、何を考えているのかさっぱりわからないとなるのです。

相手の話している言葉で相手を理解すること

なナラティヴセラピーにおいて大事なのは、相手が「語る」ときに、相手はどのように感じながら語っているのかに気持ちを向けることです。
相手は、日々生活をしている現実の世界をどのように体験しているのか、それが表現されているのが「語り」であり、相手の語ることを理解するということは、相手の世界の体験を理解することなのです。

たとえば、ある人が「死にたい」と語ったとしたら、その人は世界をどのように体験していて、人とのやりとりをどのように感じていて、どういう気持ちから今その言葉が出てきているのか、そのような相手の気持ちを理解することが、ナラティヴセラピーではその人の「語り」であり、その人と「語る」ことです。

「語り」によって現実が構成されていること

ナラティヴセラピーにおいてもうひとつ大事なことがあります。
カウンセラーが自分自身の「語り」にも自分の意識を向けるということです。
2人の人間が言葉を交わすのがカウンセリングです。
クライエントの「語り」もあれば、カウンセラーの「語り」もあります。

カウンセラーは、クライエントのことをより理解するために質問をするかもしれませんし、自分の気持ちに出てきた言葉を口にするかもしれません。
言葉として発せられる語りもあれば、言葉として発せられるとは限らないカウンセラーの語りもあります。

たとえば、クライエントの語りにうなずくこと、クライエントの語るエピソードが面白く笑ってしまうこと、クライエントの気持ちを思い描きながら沈黙しているといった語りがあります。
カウンセラーも語っているのであり、カウンセラーの語りがクライエントとの新たな語りを生み出していきます。

ナラティヴセラピーでは、クライエントとカウンセラーの2つの語りが織り上げられていくことが治療の展開です。

社会構成主義という認識論

私たちは普段、自分の目の前にはすでに出来上がった現実(世界や社会)があると思い込んでいるのが普通です。

しかし本当にそうでしょうか。

視点を変えてみるとどうでしょう。
現実とは、前もってそこにあるのではなく、そこで生きる人々が織りなす「語り」によってその都度生み出され、「構成される」動的なものではないかと。
このような視点と立場を提示したのが社会構成主義です。

社会構成主義の視点に立つと、こころの治療もこうしたら治るという方法が前もってそこにあるのではなく、クライエントとカウンセラーが織りなす2人の「語り」としてその都度生まれてくるといえることになります。

ナラティヴセラピーとは、社会構成主義という認識論に心理療法という形を合わせたものになります。

ナラティヴセラピーの成り立ち

社会構成主義は、1980年代頃から欧米で社会科学、人文科学の広い学問領域で現れてきた認識論です。
社会心理学や他の人文社会科学において発展し、社会構成主義を心理療法という形にしたのがナラティヴセラピーです。

現在ナラティヴセラピーは、日本になじむようにバリエーションを加えながら、ナラティヴセラピーを実践し発展していっています。

まとめ

ナラティヴセラピーは、語りを大事にしてます。
言葉にしているもの、していないもの、どちらも大事な語りです。
自分の世界が常識とは限りません。
人それぞれ、違った世界を持っています。
そんな違いを語りで理解するナラティヴセラピーは、興味深いと私は思います。

参考文献
「よくわかる心理臨床」

「ナラティヴ・セラピー入門」

「物語としてのケアーナラティヴ・アプローチの世界へ」