心理療法といえば、海外のものが多いイメージですが、日本独自の心理療法があります。
それが、森田療法です。
森田療法について紹介します。
森田療法の始まりについて
森田療法は、森田正馬が、20年間にわたる臨床経験をもとに神経症理論を展開し、治療法として生み出した日本独自の心理療法です。
森田は、当時日本に紹介されたばかりの西洋の精神医学を学びました。
西洋医学の療法を言わず、日本の民間療法と言わず、あらゆる療法に手を出してやってみた結果、自然にできたものが森田療法だそうです。
森田療法の完成は、1920年頃です。
当時のヨーロッパでは、フロイトが精神分析学を完成しつつあり、また、クレッチマーやユングが活躍していた精神医学の興隆期でした。
西洋の知識を取り入れながら、日本人の独自の精神性に着目してできた理論が森田療法です。
森田の神経症理論
森田は、「神経症」を意識性が強く内向的で心気的傾向に陥りやすい先天的な傾向素質(ヒポコンドリー性基調)の上に生じる神経症ぼ一類型としました。
森田の神経質の特徴は、自己の病的状態について反省でき、これを治したいという意欲をもっていることがあげられています。
自己や周囲との関係性において主観的な思い込みが強いことも特徴です。
その症状から3つの下位概念が構成されています。
第一は普通神経質です。
従来、神経衰弱と名付けられていた臨床群のことです。
第二は強迫観念を特徴としています。
第三は発作性神経症と名付けられれ、現代でいうと不安性障害があてはまります。
森田による神経症分類

森田療法の体制
森田が勤務する病院の看護師長が「神経衰弱」に悩んでいました。
以前に、自宅で寄宿させ家人と一緒に掃除などを手伝わせているうちに症状が軽快した経験をもとに「自宅で神経質者を治療する便を知り」ということで自宅で治療を始めました。
「家庭」への入院療法は4段階に分けられています。
当初は森田自身が講義して、外来診察の合間に日記指導や作業指導を行っていました。
また森田は妻について「家庭的療法であるから、特に久亥の助力大きかった。治療の助手ともなれば看護長ともなった」と語っています。
さらに複数の人が家事や食事の支度にあたり、治療的環境を構成していたことが報告されています。
森田療法は、家族的な治療構造において洞察を誘発する集団療法、作業療法といえます。
森田療法の四段階

森田療法の実際
第一期の仰臥療法において、患者は個室のおいて面会、談話、読書、喫煙などすべての楽しみが禁じられ、食事やトイレ以外は「絶対仰臥」が命じられます。
このとき第一日目は、心身の安静が得られます。
第二日目になると、自身についていろいろ連想や空想が浮かび、苦悩や強い不安に襲われるようになります。
森田は、これをじっと耐え忍び苦悩の極に達するときにこの苦悩が霧散することが「煩悶即解脱」といって重要な治療契機と考えています。
第二期では、隔離療法が継続し、交際、談話、外出が禁じられ仰臥時間が制限され、昼間は必ず戸外に出て空気と光に触れること、第二日から夜間に日記を書くことが課せられます。
また朝の起床時と夜の就寝時には古事記、万葉集などの音読が課題になります。
第二期の最初は、制限が多く、わずかに庭に立ち、あるいはしゃがみ、動植物を観察し、雑草や枯葉を取ることが許されます。
この制限は、逆説的に患者の自発的活動を促す目的があります。
第二日目以降、徐々に作業の制限がはずされ、さまざまな作業が許されて患者は徐々に活動的になります。
そこで作業そのものを楽しみ、作業のために作業し、無念無想の三昧ともいうべき心境に達するようになります。
第三期では、たとえばまき割り、溝掃除、畑仕事、庭造り、大工仕事などの作業が随意にわりあてられます。
スタッフはその方法および身体的、精神的態度を教えるだけになります。
さらにこの時期から読書が活動に加えられます。
ここでもっとも大切なことは、ひたすら活動や読書にふけることであり、活動に対する価値観をなくすことです。
最終の第四期は、外界の変化に順応する訓練で日常生活に帰る準備期間とされています。
森田療法の独自性は、症状や背景の葛藤について言語化を求める精神分析と対照的に、症状について訴えることを禁じる「不問性」があります。
患者の注意は症状から、今、ここに生きられている現実に向けられ、あるがままの自分を獲得をめざしています。
まとめ
日本独自の心理療法の森田療法紹介でした。
不自由な状態から徐々に自由になっていく過程で自分を取り戻すのが森田療法なのかなって私は感じています。
実際に森田療法をするとなると、一日ですむものではないので気軽に試すことはできないですが、心理療法で森田療法も知ってほしかったので紹介しました。
参考文献
「よくわかる心理臨床」
「森田療法ー理論と実際」