母親や父親の思い出を振り返る心理療法「内観療法」とは

heart心理学

精神分析と共通しているところがある内観療法というものがあります。
母親や父親との関係がかかわってきます。
内観療法について紹介します。

自分の内を観ること

古来より、人は神や仏など超越的な存在を前に静かに自分の内を観るということをしてきました。
他力本願に神や仏に何かを願うだけでなく、超越的な存在を前に自分のこれまでを省みてきました。
深く自分の内について振り返ることは、さまざまな宗教での修行にもみられます。
そして、世界の東西を問わず行われてきました。

たとえばヨーロッパでは、ひとつの修行として黙想を行うという霊操の歴史があります。

神や仏を前にして、ひとりで静かに深く自分の内を観て、また省みるということは、古くから行われてきた自然なことです。

もしかしたら、傷ついたときや行きづまったときに一人旅にでたり、考え込むことがあるのではないでしょうか。
自分のこれまでを省みて、自分の大事な人のことを想う、そんな経験をした人もいると思います。

内観療法と吉本伊信

宗教的な力を前にして、自分の内をじっと観るということは人間の本質に備わっています。
心理療法という形になったのが内観療法です。
内観療法の生み出したのが、吉本伊信です。
吉本伊信は青年時代より、浄土真宗の一派に伝わる厳しい修行に身を捧げ、何度かの失敗の後に深い宗教的体験をなしとげた人です。
自分自身の体験から内観療法の形作り、1941年頃に内観療法の基礎を築きました。

内観療法の実際

内観療法の基本的かつ中心的な形は、1週間、内観研修所に籠って集中して自分の内を観るということです。
新聞やテレビもない場所で、静かな個室が与えられ、朝の6時から夜の9時まで、楽な姿勢で座って自分の内を観ます。

内観では具体的に何をするかというと、まず自分の母親に「世話になったこと」「して返したこと」「迷惑をかけたこと」の3つについて、自分の幼い頃から1年ずつ順を追って、具体的な出来事を自分の思い出と体験のなかから調べていきます。
内観とは、自分にとって重要な人物との関係について「世話になったこと」「して返したこと」「迷惑をかけたこと」の3つに絞って具体的に事実を調べることなのです。

母親が終われば次は父親に「世話になったこと」「して返したこと」「迷惑をかけたこと」を調べていきます。

なぜ母親と父親かというのは、自分というものが形づくられてきたのは、幼い頃からの母親と父親との関係だからです。

父親の次には、もう一度母親について内観します。
気持ちが深まるにつれて、より思い出も深くなり、これまでの母親に対する思いを見直す体験となるといわれています。

そして、1週間の集中内観を経て、クライエントには日常生活のなかで数時間から数分間内観を行うことが指導されます。

指導者の重要性

内観の指導者は、1,2時間ごとに内観をしているクライエント(内観を受けている人)の部屋を訪れます。
クライエントは3~5分間、自分が内観した内容を指導者に伝えます。
指導者はクライエントの話を深く聞き、クライエントがより母親や父親への「世話になったこと」「して返したこと」「迷惑をかけたこと」を、再び今ここで思い出として体験できるようにします。

人はひとりでは深く自分の内を観ることはできません。
昔から、神や仏の前で自分の内を観るとき、人は自分の前に神や仏を見守り手といて体験していました。
内観の指導者は神や仏ではありませんが、クライエントの見守り手として、内観の重要な存在としています。

内観療法と精神分析は似ている部分がある

内観は、自分にとって重要な人物について行われるのですが、母親と父親の次に行われるのは、配偶者です。
未婚者の場合は次に誰かというのは定められていませんが、既婚者の場合は配偶者に対する内観が提示されます。

ここで興味深いことは、内観療法と精神分析との本質の近さです。
精神分析では一番の注目は親子関係です。
次に注目されるのは、幼い頃の親子関係がうつし出される配偶者との関係です。

まず、母親、父親との親子関係、そして次に配偶者との関係という流れが、内観療法でも精神分析でも共通しているところです。

まとめ

内観療法は、母親、父親に「世話になったこと」「して返したこと」「迷惑をかけたこと」について思い出や体験を深く思い出すことをします。
そうすることで、自分の内を観ることができるようになります。

内観療法は1週間は内観研修所で集中内観しないとできません。
時間的な拘束があるので受けるのが難しいとは思いますが、自分の内を観たいと思われたのなら内観療法はいかがでしょうか。

参考文献
「よくわかる心理臨床」

「内観法ー四十年の歩み」

「内観療法入門ー日本的自己探求の世界」